【セット読みのススメ】
自分の好きな本,皆さんに薦めたい本を考えていたら,いつの間にか同じ著者の本の間で「こっちにしようか,あっちにしようか…」と悩んでいました。どちらも捨てがたく,また両方読むと面白さ倍増ですので「セット読みのススメ」としました。
レフ・トルストイ作 藤沼貴訳『戦争と平和』1~6岩波文庫,2006年。
レフ・トルストイ作 望月哲男訳『イワン・イリイチの死』(『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』光文社古典新訳文庫,2006年所収)
大学生でタイトルを知らない人はいない『戦争と平和』ですが,通読した人はたぶん稀少。岩波文庫の藤沼訳は読みやすく面白く,地図やコラムも挿入されて,歴史好き・ロシア好き・文学好きにはたまりません。現在さらに新訳(望月哲男訳『戦争と平和』1~4 光文社古典新訳文庫,2020年~)刊行中なので,岩波文庫版で一気に読むか,光文社版の5巻を待ちながら4巻まで読むかは悩みどころ。ナポレオン戦争時代の若いロシア貴族の男女を主人公に、思想・恋愛・社会を描く波乱万丈の物語ですが、文学として素晴らしいのはトルストイの舐めるようなリアリズム。人物の動作や心の声、情景の描写が想像力をかきたてます。ちなみに私はアンドレイが戦場で倒れて空を見上げる場面とナポレオンが眺める秋のモスクワの光景が好き。見つけて共感してくれたら嬉しいです!
トルストイは読みたいけど長くて無理、という方にお薦めなのが『イワン・イリイチの死』。米川正夫訳の岩波文庫版だと厚さ5㎜ぐらいです(が、なかなか読みにくいので光文社版がいいでしょう)。裁判所に勤務する中堅どころの貴族の男性が45歳の若さで病を得て亡くなるまでを描くというむちゃくちゃ地味な中編小説ですが、『戦争と平和』に共通するトルストイのリアリズムに触れられます。病人と周囲の人々の行動とものの考え方が意地悪いまでに鋭く細かく描かれ,時間が淡々と残酷に流れているこの作品を読むと、トルストイはこれを書く前に一回死んだことがあるに違いないと思わずにいられません。
三浦佑之 訳・注釈『口語訳古事記完全版』文藝春秋,2002年。
三浦佑之 『金印偽造事件』幻冬舎,2006年。
日本古典文学の大家にして口承文芸研究の分野でも多くの名著をもつ三浦佑之氏のベストセラー『口語訳古事記完全版』は,「口語訳」というより「語りもの」古事記。語り部の爺様の言葉を頭の中に響かせつつ、けっこうハチャメチャな神話的情景をゆっくり想像しながら読みたいものです。ダイジェストで「古事記」が分かればいいやという人のためのお手軽本ではありません。欄外には丁寧な注釈がびっしり。語り部の爺様がそこここに差し挟んでくる感想や解説にはちゃんと「古事記原文には存在しない」と注記されている真面目さが信頼の証です。
この三浦氏が,かの「漢委奴国王」の金印が江戸時代に偽造されたものではないかという説を追いかけて詳細な文献調査と現地調査を行い,その結果,果たして金印は18世紀末に偽造されたものであったと正面から主張しているのが『金印偽造事件』です。定説に疑いをもち,タブーに挑戦する勇気と研究者魂に満ちた一冊、トンデモ本と片付ける前に一度ちゃんと読んでおくべきでしょう。
宮本常一『山に生きる人びと』河出書房新社,2015年(底本は『山に生きる人びと』双書・日本民衆史2,未來社,1964年)
宮本常一『海に生きる人びと』河出書房新社,2015年(底本は『海に生きる人びと』双書・日本民衆史3,未來社,1964年)
ロシアのど田舎でよくお爺さんやお婆さんの体験談を聞いて来る私にとって,宮本常一の著作はどれも引き込まれるものばかり。学者口調ではない、柔らかく美しい文章も魅力です。「山に生きる人びと」で描かれるのは、平地や谷に水田を作って暮らす農民の生活とは別の、日本の深い山中を移動しながら暮らした人々の世界です。猟師や木こり、木工ろくろで食器等を作る木地師、あの人気漫画の主人公と同じ炭焼き職人も、山の道を移動しながら生きる人々でした。こうした彼らの経済活動はまた、塩の獲得や製品の販売、木材の提供などによって「海に生きる人びと」の世界までつながっています。宮本常一にとってより近いテーマであった後者では、瀬戸内海や九州の海岸や島々を拠点とした漁師たち、捕鯨者たち、海女たちの仕事と暮らしが具体的に語られます。廻船業者や海賊たちのダイナミックな活動を追うくだりは、きっとあなたも日本地図や高校の日本史資料集をひっぱりだして来て指さしながら読み進めることでしょう。
エーリヒ・ケストナー『ファービアン』
『エーミールと探偵たち』や『飛ぶ教室』あるいは『ふたりのロッテ』といった作品をご存じでしょうか? 日本ではおもに児童文学の書き手として知られるケストナーは、20世紀のドイツで活躍した作家・詩人・ジャーナリストです。今回の推薦図書は彼が1931年に発表した大人向けの小説で、社会不安に揺れるナチス台頭前夜のベルリンを舞台に、「傍観者」の立場にとどまろうとする若者の逡巡が描かれています。社会問題に興味はあるけれどどうコミットすればいいかわからない、そもそも政治に関心が持てない、限られた時間のなかで自分にできることなんて高が知れているんじゃないか……ただでさえ自分の生き方について考えることの多い大学生だからこそ、とても面白く読める小説だと思います。ちなみに私はこの小説で卒業論文を書きました。
林尹夫『わがいのち月明に燃ゆ 一戦没学徒の手記』
旧制高校から京都帝大に進学したあと、いわゆる「学徒出陣」によって弱冠23歳で亡くなった若者の約5年間にわたる手記をまとめたものです。当時と現代とではいろいろな条件や状況が異なるので、一概に比較はできないのですが、これを読むと、とにかくこの林尹夫という青年のすさまじい読書量に圧倒されます。日本語だけでなく英・独・仏の大部の著作もすでに原書で読破していたりするので、驚嘆の念を禁じえません。そして、これほどの才能をもって努力した人が短命のうちに生涯を閉じなくてはならなかった不条理を思い知ると同時に、もしかすると自分は今、自分に猶予された時間を無駄に過ごしてしまっているのではないか、という(良い意味での)焦燥感をかき立てられるかもしれません。そういう読者のひとりだった私は、この本を読んだあと、とりあえず自分の読書記録をかねて日記をつけるようになりました。
教員のオススメ本 2021日時:2021年3月25日(木)~5月22日(土) 先生方が学生のみなさんにおススメする本の紹介と展示をしています。 熊野谷 葉子 先生(法学部) |