高校から浪人時代にかけて、ドストエフスキーをむさぼるように読んでいた時期がありました。主体的に読んだというより、その異常に凝縮度の高い文章に呪縛されて読まずにはいられなかった、という方が正しいでしょう。人間の醜さ、恐ろしさ、愚かさ、美しさ、気高さ、いとおしさを、これほど強烈に教えてくれる作品群はなく、その意味でまさに人生観が変わる読書体験でした。 人間には、ある書物に出会うべき年頃があると言われますが、さしずめドストエフスキーは若い頃に読むべき作家の筆頭格といえるかもしれません。とはいえ、あまり読み過ぎると、自分の中の「未知なる怪物」の存在に気づいてしまって健全な社会生活に支障を来すおそれがあります。敬して遠ざけるのが実は賢明なのかもしれません。

ことによると20世紀が生んだ最大の作家かもしれぬカフカによる、最も長大な、しかし未完の小説。「城」から測量師として雇われた主人公Kが、しかし城にたどり着けぬまま、城に発するらしい指令に翻弄され続けるさまが延々描かれています。学生時代にはじめて読んだときには、物語の寓意性を読み解こうと四苦八苦した覚えがあります。しかし、そうした「解釈への欲望」を封印し、主人公と共に理不尽な状況に翻弄されるがままになって読み進んでみると、カフカが世界をいかにヘンテコな視点から眺め、いかに正確無比に描いているかがよく分かって思わず膝を打ちたくなります。とはいえ、カフカを読み過ぎると、現実の自明性が揺らぎはじめ、当たり前だと思っていた日常世界が謎だらけに見えてしまうといった難点もあるので、即戦力の社会人を目指す人は避けた方がいいかもしれません。

学生時代の一時期、早稲田や神田の古本屋をまわって井伏鱒二の単行本を買うのを無上の楽しみとしていました。さしたる事件の起こらない小さな世界も、井伏鱒二の飄々として、そこはかとないユーモアを漂わせた文体で語られると、なんともいとおしく、かけがえのないものに思われてきます。この作家のものなら何でも推薦したいほど偏愛しているのですが、川釣りをめぐる短編小説や随筆を集めたこの本は、手に入りやすく（昔はなぜか岩波新書に入っていた）、日本の山間地の美しさと日本語の美しさを同時に堪能できるところが薦める所以です。しかし、井伏鱒二を読み過ぎると、学期中なのに釣り竿をかついで渓流釣りの旅に出たくなってしまうので、ちょっと注意が必要かもしれません。

その道の専門家を二、三人迎えての座談会形式で、日本人であるとはなにかを、楽しく問いかける。「橋と象徴」「水の感覚と表現」「笑いの文化誌」など全11回の座談会。自分が日本人であることの意味が気になる人、つまりインテリになるべく努力したいきみには必読の本。

当代きっての知識人二人が、古代から近代までの日本史を、各時代の専門家が書いた本をとりあげて縦横に論じる。「恋と密教の古代」から「演劇的時代としての戦国・安土桃山」を経て「近代日本　技術と美に憑かれた人びと」まで全8回の対談による日本史。なるほどこれが日本か。知識欲をいたく刺激する一冊。

詞華集は「文学と社会の媒介」。ここに目をつけて日本文学史を見渡す。わずかな枚数で、納得の論を展開する。それを語る文章が、また読んでいて心地よい。